「誰のせいだか解ってんのかよ」
「俺のせいなんでしょ?」
「解ってんなら言うんじゃねぇよ」
「解ってるから言ったんです」

何処かからかい混じりに言った水戸の横顔は、悪戯に成功して「してやった」と言わんばかりに珍しく満足気に歪んだ笑みを象っていたので、喧嘩を売ってんだなと確信する。買ってやりてーけど、喧嘩は禁止されてるし進路に影響を及ぼすし、何より今そういう気分じゃねーから、俺はやむおえずその笑みから目を離して堪える事にした。
その隙に水戸はポケットからタバコを取り出して吸い出したりしていて(間借りなりにもスポーツマンの前だと言うのに!)
本当こいつは俺の事を先輩だと思ってねぇんじゃねぇのかとか、はたまた上下関係気にするタマじゃねぇのかどっちなのか何て知らないしどうでもいいけど、体育館の裏で吸うんじゃねぇよ。バスケ部が疑われたらどうすんだ…とだけ言おうとして、それもやめた(そんなヘマだけはしねぇんだよな、こいつは)


「何の嫌がらせだ、それは」
「んー…なんか、マーキング的な?」
「おめぇは動物かよ。…だーくそっ!くっせぇなクリーニング出してやる」
「どうぞお好きに」



落とされた灰が地について崩れた。踵が鈍く踏み潰された水戸のローファーが、慣れた動作でそれを擦りつけて、赤土に紛れさせる。
それに奪われた視線の意味を俺ははぐらかすように。混ざれ雑じれと願う気持ちは他人事のように遠い。
視界に映る空も大地も、すぐ隣に居て、同じように壁に寄り掛りその空を見上げてるこいつも、俺自身さえも遠く、窪んで落ち込んでいる。

まるで、俺の中にもう一人の俺が居るみたいだと思った。
俺は、そいつ(もう一人の俺)の網膜を使い巨像を結ぶ事で世界を見ていて。その影像は他人(もう一人の俺)の物みたいに曖昧に歪んでいる。
それは俺達が背にしている体育館の壁の、汚れの混じったくすんだ白のせいで起こった錯覚だったのかもしれない。
網膜に、鼓膜に、フィルターが掛かり一瞬だけ異次元にでも連れてかれたみたいだと思ったのは、昨日見たSF映画のせいか。
(そもそも、もう一人の俺って誰だ。俺は俺だろーが)
(そんなのイカれてる)


水戸の足元に落ちた灰は土に混ざって姿を濁した。煙は昇って青い空に溶けて紛れた。
俺は思った。
この灰が。煙が。この匂いが解らなくなる程、この世界とそして俺自身に混淆し見えなくなった時。
きっとそれは俺が絶望に伏した時であり、俺が水戸を求める時であり、また正確に言えば俺と水戸が寝た時を指すんだろう。
……って、俺こいつとヤる日がくんのかよ。マジ笑えねぇな、それ。




「匂いなんかさ、どうせ一緒にいればまた付くんだから良いじゃないですか」
「よかねぇよ」
「気にしなければ気になりませんよ」
「…お前他人事みたいに言いやがって、おめぇのせいだろーが」
「まぁね。でも、本当は三井さんがそれを望んでるんだよ」
水戸は壁に預けていた身体の重力を両の足に移した。その足で踏みつけた煙草のフィルターは、解りづらいが確かに赤土の中でくすんだ白い欠片として残っている(これは俺の理性。常識。ちっぽけなプライド)
俺は一歩後ずさる。逃げなければならないのに、逃げられないと思ったのはこいつが言うように俺が(もう一人の俺が)それを本心では望んでいたからだろうか。

「本当に嫌だったら俺に会いに来ないでしょ、まぁ会いに来る理由は違うんだろうけど」
「どういう意味だよ」
俺は短い髪をかきあげるフリをしながら、俺の身体に染み付いている香りを確認する。まだ大丈夫。
俺の世界にはまだ混在し切ってはいない。


「目的は明らかだって話です」
「だから何が…」
「身体に匂いなんかつけて、あの人に当てつけてるつもり?そんな事しても見てはもらえないんじゃないんですかね」
「…だから、どういう意味だよ」
「別に、」
解ってるならいいけど。

そう言って、全てを捕えるように延びてきた水戸の腕が、俺の腰に回され俺を引き寄せた。
水戸は全てを知っている。いや、知ってる訳じゃない…全てに気付いている。
それだけの時を、俺達は同じ世界の同じ空間で過ごした。
だからきっとこれは慣れでしかない。
慣れっつーのはとどのつまり常識が侵されるという事で、とどのつまり普通が解らなくなるという事で。
だからよーするに、俺の頭はイカれてんだろ?

胸を締め付ける不本意な感情もあいつに伝えたい言葉も、誰かに寄りかかってしまいたい甘えさえも抱えた(もう一人の)俺は自身を狂ったように蝕むけれど、そんな俺を見たらあいつは、きっと軽蔑するだろうからそれだけは避けたいと思った。
この感情(もう一人の俺)に流されたら全てが終わる。だから俺は言う。




「あーもう、明日にでもクリーニング出してやる」
「お好きにどーぞ、月曜日にはまた付けてあげますよ」
悪戯っぽく笑った水戸の顔は歳相応に幼くて、そいやこいつ年下だったなと思い出したりして(いつもスカしてやがるから)
したら、まぁ寛大な心で許してやんなくもない。と、思ったけど、やっぱりこの制服に染み付いたタバコの匂いだけは我慢なんねぇから


「俺の前で吸うんじゃねぇ」
「いいじゃないですか。あんたの前を狙って吸ってんだから」
「は?」
「だから、わざとだって話ですよ」

「………たまにお前をぶっ殺したくなんよ」
「俺はいつもですよ」

俺に向けられたこいつの感情は、友愛でも恋愛でも勿論家族愛でもない。
それでも水戸は俺と時を過ごしイカれた俺を受け入れる。どうしようもない俺を抱く。

引き寄せられ合わさった水戸の身体は服越しとはいえ思ったより低く、そのまま俺の熱と混じり合うようで酷く心地よくもあったが、同時にそれが恐ろしいとも感じた。
お世辞でも華奢とは言えない身体を抱き締める水戸の腕の力が強まって、不覚にもグラリと視界が揺れる。
そのまま壊れたテレビに映る砂嵐のように画面が乱れるのが恐くて俺は瞼を綴じた。

微かな理性と常識と、ちっぽけなプライドを護るように抱えた俺の肩に顔を埋めた水戸が、もう一度タバコ臭いとからかいの混じった声で言ったから、俺は月曜日までにはこの匂いをとらなければならないと思った。

俺の綴じた瞼には生意気なチビの姿が焼き付いていた。





「金曜に見た錯覚」




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この香りに飲み込まれてしまう前に。

20080129

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