何処に行きたいの?と聞いた宮城の問いは身を裂くような強い風に乗って空を流れた。
返せない言葉はどこまでも三井の喉を左胸ごと締め付けて握り潰す。酸欠。圧迫。窒息。


行きたい場所は無い。
行ける場所も無い。

ただ行きつく場所だけは互いに知っていた。

サヨナラは容易くて、どこまでも容易くて、酷く辛いけれど行き場の無い俺達が進む先としては何よりも正しくて残酷なくらい正しくて、多分易しくて優しい。




何処に行きたいの?もう一度問うた宮城の表情は、後ろに乗っている三井には見えなくて、それがこの夜の闇よりも恐ろしいと思ったが、その事を素直に口にするのはちっぽけなプライドが邪魔をして出来そうにない。
だから、その問い自体を無かった事にするように三井は息を殺す。(このまま息の根まで停めてしまえたら良いのに)

行き着く場所を知っている三井は、そこから逃げられない事も嫌と云う程知っていたから、この問いから逃げる事だけは許してほしいと思った。
生憎、原付きのエンジン音と脇を通り過ぎる風はゴウゴウと二人の鼓膜を震動させていて、言い訳としては充分過ぎる程だった。











宮城は原付きを走らせる。三井に問うのを諦めた宮城が目的地を何処に決めたのかは知らないが三井は背中にただ捕まって流れて行く景色を視界に入れる。
見ている訳じゃない。ただそこにあり、目の前を流れていくだけだ。
その景色は遠くて浅く、カラカラに渇いて無色にして空虚。まるで音のない映画のワンシーンを延々と眺めているかのように、それが何かを認識する前に景色は流れてまた次の世界が網膜を通過してしまう。
それは色のない夢のようだと思った(これが夢だとしたら悪夢に他ならない)



角を曲がる。
ただ目の前を流れていたに過ぎなかった景色が急に色付いて三井の網膜に入り込む。
三井は見る。ワントーン暗いけれど三年間確かに見慣れたその景色を。通い慣れた路を。変わりなくそこにある脆くも単調で歯痒い世界を。

宮城はあそこに行こうとしているのだと思った。
あそことは三井と宮城を出会わせ、繋いだ場所であり、二人を繋いでいた唯一の場所であり、高校時代を想って真っ先に浮かぶ場所。


原付きを停める。宮城がヘルメットを取って振り返った。
「着いたよ」
「何で学校なんだよ」
「アンタが行きたいとこ言わないから、俺が来たいとこに連れて来たの」
三井もヘルメットを外してバイクを降りる。
急に湿気を纏った生ぬるい風に身体を撫でられて酷く不愉快だ。じんわり額に滲みだした汗が、今は夏だと云う事を忘れかけていた三井に教えていた。
煩わしい…と思った。悩むのは嫌いだ。考え込んで良い結果を生んだ試しがない。(前歯を無くした俺が病院のベッドで考えた事もクダラナイ事ばかりだった)




三井は鉄柵に手を伸ばすとイタヅラをする子供のように笑って言った。
「入んだろ?」


校門を塞ぐ柵は、もう此処に居場所はないのだと二人の侵入を高く拒否していたけれど、188センチにまで伸びた三井の身長では乗り越える事は容易い。三井は柵を楽々と乗り越え、向こう側の地へ踏み入れる。
柵を隔てた向こう側に立つ宮城の身長は、あの当時からあまり変わっていない。
「手ぇ貸してやろっか?」
「ジョーダン」

宮城が三歩下がって駆けた。柵の前で強く踏み切って飛ぶ。
鉄柵はガチャリと派手な音を立てて揺れながらも捕まった宮城を振り落とす事はなかった。
宮城は軽々とこちらの地に飛び込んで来る。

「楽勝!」
「ジャンプして楽勝もくそもあるか」
「うっせー自力で越えられりゃいんですよ」
そう言って小さな身体を揺らして自信満々に笑う。
宮城は背は小さいけれど、何よりも力強く大きく、誰よりもプライドが高いと三井は思う
(宮城からしたら三井の方がプライドは高いと思っている)
(だからこそ一緒にいれた)


宮城が歩き出す。三井も後を追って歩き出す。
三井の方が脚のキャンパスは長いので直ぐに隣に並ぶ。宮城も離されまいと大股で歩く。
(だから二人は並んで歩けた)





行く場所は一つだ。

鉄の扉の前に立ち止まる。あの頃、練習中はこの扉は開いていて、此処から水戸達や晴子達が連日練習を覗き、応援したり野次を飛ばしていたけれど、今は誰もいない。
扉は重く閉じられ、強固にまた悠然と二人の前に立ちはだかり、この世界から(あの頃から)拒絶していた。

「どうせ来たなら中見たいよなー」
「三井サン、何処行く気?」
「部室。窓の鍵空いてたりしねぇかな」
「空いてねーだろ」
「じゃあ叩き割る」
「サツ呼ばれるから」
冗談だよ、と三井は笑って宮城の頭をクシャリと撫でる。宮城はセットを乱すその手を嫌そうに払って、冗談に聞こえないと言った。




部室の窓に手をかける。やはり鍵は閉まっていて侵入を許してはくれそうにない。
駄目だと言う宮城の声は明るい。
ツマンねぇと三井は舌打ちを一つして見せたが、心の何処かでは安堵している自分を見付けて辟易する。
見たいけれど本当は見たくなどない。

この窓の向こうは、扉の開いた先には、三年前のあの日々が亡霊のようにベッタリ張り付いているのだ。
それは魅力的にも極彩色に色付いてそこかしこに焼き付き三井を誘ってくる。
それを見てしまうのが怖かった。
戻る事は出来ないあの日々は夢のようで、遠くて薄れてしまう程に遠くて。だからこそ眼を反らしてがむしゃらに先に進めているのに…そんなモノを見てしまったら三井は口にしてしまう。

たった一言を。
たった四文字のあの言葉を。




ガチャガチャと鍵を弄る音。宮城が窓を開こうとする。
「ねぇ三井サン」と三井を呼ぶ。

「あの頃に戻りたいと思う事ある?」

ドキリと跳ねた左胸。
喉の奥の官が潰れて再び訪れた圧迫感は三井を締め付けて酸欠に。窒息させてその命を奪うかのように思われたが、現実そんな事はなく、ただ苦しさにあ…と喘いだような小さな声がこぼれ出ただけだった。
宮城は鍵の掛かった窓を開く事は諦めたようで、部室の白い壁(白と呼ぶには薄汚れて黒ずんでいる)に背中を預けて寄り掛かる。

「俺はいつも思ってたよ」
一度も口に出した事はなかったけれど。

「あの頃に戻れたら俺は…」
「俺とは付き合わなかったってか?」
三井は先に続くだろう言葉を暴力的なまでに強引に奪い、薄く笑う。
夜の闇に、この夏の生ぬるい湿気に意識が呑み込まれる(それは今を生きている俺達がそこここに焼き付けられた過去に捕われた瞬間とも言える)

「そうだね…」肯定の言葉とともに宮城も笑顔を貼り付けた。

その笑顔は優しくて、どこまでも優しかったから、三井は込み上げて来た苛立ちが行き場を失ってしまったと思った。
ただ腹の中で蟠ってグルグルと渦巻く苛立ちを吐き出したくて、でも吐き出し方さえ解らない三井はただ叫び出したいと思った。
何でもいいから叫びたくて、でも酸欠な脳では適切な言葉一つ浮かびはしない。

だから、三井はただ声を張上げる。
「どうせ、俺のことなんて初めから好きじゃなかったんだろっ」
苛立ち任せに怒鳴っても、宮城は笑顔を貼り付けたままで。
触れたら消えてしまいそうな程、それは遠く遠い

(これは誰だ?)

(笑っているのは)

(目の前にいるのは)



遠いのに消えない宮城の影は、扉の向こうの亡霊に憑かれて、変わらぬ身長のまま17歳の姿を貼付け優しい声で「好きですよ。今でも」と言う。
それは甘い愛の言葉なのに今は苦くて昔に俺さえも憑かれてしまいそうになった。

「じゃあどうして…」
溢れた言葉が思いの外弱々しくて、酷く惨めな気分に三井はなる。
でも、どうしてなんて本当は聞かなくても解っていた。一歩間違えれば三井自身が口にしていただろう言葉だったから。
あの頃から幾度と無く頭を過りその度に目を逸らしてきた易しくて優しい言葉。

(自分達に行きたい場所は無い。行ける場所も無い。)

(ただ行きつく場所だけは互いに始めから知っていたのだから)






「ただ俺はアンタの事、今も勿論あの頃も好きで一緒にいれてスゲー楽しかった」

過去形にされた言葉は重い重量を孕んで三井の身体にズシリと取り憑く。

身体が、動かない。
足も手も指一本、指先一つ動かす事も出来ずにただ遠いような浮遊するような意識をギリギリのところで保っている。


世界が褪せる。
色がない。

この景色は夢?



耳鳴りがする。キンと響く音に混ざるギシギシと云う音を発しているのは、風で揺れる部室の窓だったか三井の心音だったのか。
ただそのノイズを突き破るみたいにその音だけはクリアに響いた。



宮城は言った


「サヨナラ」




『デッドエンド』



四文字の言葉が世界を変えた。





END
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遅くなりましたがリョ三の日記念小説。


20090719

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